栗よりマズイ、十三里 |
子供の頃からの想い出の味
やきいも オ・レ
(明治乳業株式会社:東京都江東区)
№0100
製造は群馬牛乳協業組合(群馬県前橋市)で行われています。
さつまいも1%使用。果肉なのか果汁なのか…
飲んでいると、どっちでもよくなります。
「おもいで」が「思い出」でなく「想い出」と書かれていたので
期待が大きかった自分が情けない…。
こんなに悲しくなるドリンクは、初めてです。
さつまいもの原産地は、中南米です。
アメリカ大陸を発見したコロンブスが、スペインに 持ち帰ったものが、
フィリピン、中国、琉球を経て、元禄時代の日本に入って来たようです。
私は、『 栗 より美味い十三里 』という言葉が、大好きです。
宝永年間(1704~1711)になると、京都に「焼芋屋」が現れました。
「焼芋屋」は、栗(九里)に近いという意味で、
「八里半」と言う看板を出していたそうです。
江戸では寛政年間(1789~1801)に、初めて「焼芋屋」ができて、
この店も「八里半」と書いていましたが、やがて小石川に「十三里」と言う
看板を掲げた店が現れました。
『栗(九里)より(四里)うまい』と言う、洒落だったそうです。
また、そんな江戸の「日本橋」から川越「札の辻」まで十三里。
だから川越の「さつまいも」は昔から江戸庶民の間で
『栗よりうまい十三里』などと呼ばれ、人気を博していました。
江戸時代に江戸と川越との距離をもじって、
味の良さをうたわれた「さつまいも」は、
今でもこの地域の特産品の一つです。
埼玉県で栽培されるようになったのは、今から約250年前に、
8代将軍「徳川吉宗」(ご存知「暴れん坊将軍」)が、
「さつまいも」の栽培を奨励したのがきっかけです。
そして、川越城主の松平大和守(やまとのかみ)が、
10代将軍徳川家治(いえはる)に、川越でとれたサツマイモを献上したところ、
色の美しさと味の良さから『川越イモ』という名称で呼ばれるようになりました。
薩摩(現在の鹿児島県)から、伝わってきた「芋」なので「さつまいも」。
しかし、薩摩の人間(私の両親は、共に鹿児島県人ですが…)は、
さつまいものことを「唐芋(からいも)」と呼んでいます。
理由は、「唐(中国)」から伝わってきた「芋」だからです。
私は「焼き芋」を焼くために、去年の冬に陶器の窯を買いました。
底に石を敷き詰めて、ゆっくりと遠赤外線で芋を焼いて
アツアツを食べるのが好きです。
新聞紙に包まれた、アツアツの「焼き芋」を素手で割って、
兄妹3人で、フウフウいいながら食べた…。
そんな昔の想い出は、このドリンクによって
無情にも、叩き壊された…。
そんな気がしました。
想い出は…、飲むものではないですね。
10段階で2です。