散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする… |
ミルクココア
(森永製菓株式会社:東京都港区)
№0206
会社帰りのマルエツで買いました。100円。
「文明開化」ではじまった明治40年代、日本では西洋化が
ずいぶんと進み「ハイカラ」という言葉が大流行しました。
ハイカラの語源は、糊がきいたシャツの
「高い襟」からきたと言われています。
しかし、このハイカラはどうやら外見から
少しずつ浸透していったらしく、
市民の生活振りは結構、旧態依然としていて、
特に食生活はなかなか変えようとはしなかったようです。
牛乳が気味悪がられなくなったのも明治の終りの頃で、
西洋菓子が全国的に普及されてきたのも、
明治の後期から大正初期にかけてのことだったそうです。
生活の洋風化が上流社会から中流階級まで及んだのは、
やはり大正時代に入ってからのことでした。
時代はまさに「ハイカラ」から一歩進んだ「モダン」に移っていきました。
大正3年には第一次世界大戦が勃発して、大正7年の
9月30日には、シベリア派遣の日本軍の甘味加給品として
森永からミルクキャラメルが納入されています。
同じ頃、森永の芝田町工場には、米国人技師のオスカー・グランランドが来日。
日本ではじめてのココア豆からのチョコレート一貫製造設備を完成させました。
原料用ビターチョコレートやポケット用ミルクチョコレート(当時15銭)を
発売したそうです。この年の11月11日に第一次世界大戦は終わりました。
翌大正8年4月には森永ミルクチョコレート(15銭)が、
また5月には練乳森永ミルク(50銭)が新発売され、
そして、8月1日には 森永ミルクココア缶(約113g45 銭)が
国産第1号ココアの名乗りを華々しく挙げたのです。
今日のドリンクのご先祖様は、大正8年生まれなのですね。
前にも書きましたが、カカオの原産地はブラジルのアマゾン川の流域、
またはベネズエラのオリノコ川流域と言われています。
紀元前2000年頃からインカ、マヤ、アステカなどの
古代文化圏を形成していた先住メキシコ人の間で
「神様の食べ物」として珍重されていました。
カカオ豆をすりつぶして数種のスパイスを効かせた飲み物は、
高級な王侯貴族のものだったのです。
カカオはその後、16世紀にアステカを征服したスペイン人が
本国に持ちかえったのを機にヨーロッパ諸国に広がっていきます。
当時カカオは100粒で奴隷1人と交換されるなど、
とても高価に取り引きされていたため、スペイン人は早速、
植民地だった中央アメリカや南アメリカ、のちにカリブ諸島や
フィリピンにカカオプランテーションをつくり、
カカオ豆の本格生産を開始しました。
カカオとは、カカオの木の果実の中にある種子のことです。
カカオは赤道の南北緯20度以内、平均気温27℃、
高温多湿な地域で栽培されます。
西アフリカ、中南米、東南アジアが主な産地です。
栽培場所については、先ほどの植民地とも深い関係があります。
ココアを今日も飲んでいるのには訳があります。
ちょっと最近、便秘気味なのです。
食物繊維は腸の中をきれいにしてくれる働きがありますが、
ココアは食物繊維を30%も含んでいます。
この量は生野菜や果物よりはるかに多く、
一杯のココアを飲めばトマトジュースの2~3倍もの
食物繊維をとることができるのです。
また、一般に香りが脳へ及ぼす効果として、
アロマテラピー(芳香療法)が知られていますが、
カカオの香りには集中度向上効果があることが分かりました。
東邦大学の研究によれば集中度や記憶学習能力、
記憶力がアップするという実験結果もでています。
だから受験生には、ぴったりの飲み物だといえるのです。
前に書いた 同じ森永のココア は、ポリフェノールが2倍入っています。
ライバルの明治のココア は、ポリフェノール3倍です。
これは普通のココアです。素朴で懐かしい香りと
飲んだときに、さわやかな甘さが口の中に広がります。
普段…飲むなら、こっちのほうがいいです。
カカオポリフェノールは、ちょっと苦いから…。
10段階で7です。