100年かけてたどりついたブラック 「 100年 BLACK 」 |
ORIGIN LABEL
100年
BLACK
(アサヒ飲料株式会社:東京都墨田区)
№0530
1908年の移民船「 笠戸丸 」から始まったブラジル移住。
1941年までに19万人という多くの日本人が、はるか遠く、
地球の反対側へのブラジルへと、夢を求めて渡っていきました。
ブラジルの日系社会は現在、推定140万人と海外最大です。
初期の移住者はコーヒー農園の雇用移民としてブラジル南東部
(主にサンパウロ州)に入植した人が多かったそうです。
でも…彼らが選んだ新天地は、決してユートピアではありませんでした。
どこまでも続く未開の大地、日本とは全く異なる気候、
厳しい自然災害・・・。しかしそんな現実を前にしても、
彼らは決して夢をあきらめなかったのです。
1916年頃には、雇用農から独立した者が自発的に移住地を
創設するようになり、1928年にはブラジル拓殖組合が設立され、
自営農移住者のための集団植民地が設立されました。
また、サンパウロ近郊に移住する人も増え、
ブラジルにおける日系人の活躍は農業だけに留まらず
教育や医療、政治の分野へと活躍の場を広げていったのです。
彼らは、辛い時には…日本まで続く空を見上げながら、
様々な思いを、季節の中で心に刻んできたのでしょう。
そんなあふれる思いを…、父から子へ、子から孫へと
こうして、100年の間、語り継いできたのでしょう。
この豆が生まれたのは、世界最大のコーヒー生産国であるブラジルの
日系ブラジルコーヒー農園。 そんな農園のひとつ、ミヤキ農園の歴史も、
現オーナーのマルコス・ミヤキ氏の祖父ソウイチ氏までさかのぼります。
霜害の絶えなかったパラナ州を離れ、ミナスジェライス州セラード地区に
農園を拓いたのは、マルコス氏の父であるヨシオ氏です。
父から一族の未来と農園を託されたマルコス氏は、
今日も青い空の下で汗を流しています。
現在、農園でコーヒー豆をつくっているのは、日系三世が中心です。
苦難の果てに農園を拓き成功を手にした祖父と父。その思いを受け継ぐ
彼らの新しい夢は…まさに「 未だ訪れたことのない遠い祖国、祖父の故郷
日本のみんなにこのコーヒーを飲んでほしい 」ということだったのです。
ミナスジェライス州セラード地区を中心に、日系ブラジル農園の豆を
100%使用しています。日本式のきめ細かい丁寧な作業にこだわる
日系ブラジル農園の豆は良質で、ボディに優れ、酸味、甘味、苦味の
バランスが良く、ブラックコーヒーにすると豆の良さがよくわかります。
厳選した高品質なコーヒー豆に加え、なんとコーヒー全体の
5~10%程度しかとれず、芳醇な香りと酸味が特徴の
「 ピーベリー 」と呼ばれる豆を使用しています。
「 ピーベリー 」は通常想像されるコーヒー豆と形が異なり、
丸い形をしています。コーヒーの実の中に1粒だけ
コーヒー豆が出来た場合丸い形となります。
通常の豆と比較して芳醇な香りと酸味が特長です。
しかし、コーヒー豆には雑味の元となるシルバースキンがあって
味作りに邪魔な要素となります。なぜシルバースキンというのかと言うと
コーヒー豆を覆う薄皮が銀白色である事からこの名がついたそうです。
過剰な研磨をせずに、このシルバースキンを除去し、
本来の味わいをクリーンに引き出すのが、豆同士を
ぶつけ合う事により研磨する「 ナチュラルポリッシュ製法 」です。
抽出は、喫茶店や自宅でレギュラーコーヒーを淹れるような
抽出方法を再現した「 クリア抽出法 」を採用しているそうです。
「 100年かけてたどりついたブラック 」
1908年、遥か遠いブラジルに夢を求めて渡っていった
日本人の思いが…いっぱい詰まったコーヒーです。
さわやかな春の風のように、ちょっとほろ苦くて
ちょっと飲んだ後に、心があたたかくなる、
おいしいブラックコーヒーです。
100年浪漫、あなたも感じてください。
10段階で8です。