浜田省吾 「 もうひとつの土曜日 」 |
こんなジメジメした日には、カラッとした曲を聴きたいのですが…。
結局聴いているのは、浜田省吾さんの「 もうひとつの土曜日 」
もちろん土曜日だから、この曲にしたという、単純な理由もあります。
浜田省吾さんは、広島に1952年12月29日に生まれました。
1973年、広島時代の音楽仲間と「 AIDO 」を結成し、
翌年には吉田拓郎のバックバンド(ドラム)として参加しました。
1976年、アルバム「 生まれたところを遠く離れて 」、
シングル「 路地裏の少年 」で、ソロデビューします。
『 僕たちの音楽はステージ上で演奏されるもの。レコード芸術じゃない 』
浜田省吾さんの口癖です。私は以前も書きましたが、20年くらい昔に、
ヒビノというコンサートPAや音響機材を扱っている会社に勤めていました。
もちろん浜田省吾さんもレコード会社から配られる視聴用のサンプルCDなどで
歌は全部知っていました。でも当時は、あくまで仕事として聴いていて
プライベートな部分では、普段は聴いていませんでした。
でも「 もうひとつの土曜日 」だけは、大好きで何度も聴いていました。
今でも浜田さんは、コンサートを中心に根強い人気があります。
その理由は、的確に時代を見据えた深い詞にあると思います。
バブル期に入る直前の1984年に発表した「 MONEY 」では
【 Money makes me crazy 】と、拝金主義の
哀しい時代がくることを嘆いていました。
また1988年の「 RISING SUN 」では、日本への警鐘も鳴らしています。
【 過ぎ去った昔の事と子供達に何ひとつ伝えずに この国何を学んできたのだろう 】
1992年の「 悲しみは雪のように 」は、素敵なラブソングですが、
ドラマ「 愛という名のもとに 」の主題歌として、大ヒットとなりました。
このシングルCDの1曲目は「 LONELY―愛という約束事 」という歌です。
2曲目が、今日の歌の「 もうひとつの土曜日 」になります。
ある意味、素敵なラブソングなのですが、この歌は歌いだしの、
「 ゆうべ眠れずに、泣いていたんだろう? 」を聴いただけで、
今でもしんみりとなって…涙がこぼれてきますね。
この歌を聴くと、自分の片思いの恋の記憶や、
若さゆえに戸惑い揺れ動いてしまった感情が…
少し残っていて、思い出すのかも知れません。
何度もオートリピートにして
今夜はずっと聴いていたいです。
昨夜 眠れずに泣いていたんだろう?
彼からの電話 待ち続けて
テーブルの向こうで 君は笑うけど
瞳ふちどる悲しみの影
息がつまる程 人波に押されて
夕暮れ 電車でアパートへ帰る
ただ週末の僅かな彼との時を
つなぎ合わせて 君は生きてる
もう 彼のことは忘れてしまえよ
まだ君は若く その頬の涙
乾かせる誰かが この街のどこかで
君のことを待ち続けてる
Woo振り向いて Ha-Woo探して 探して
君を想う時 喜びと悲しみ
ふたつの想いに 揺れ動いている
君を裁こうとするその心が
時におれを傷つけてしまう
今夜 町に出よう 友達に借りた
オンボロ車で海まで走ろう
この週末の夜は おれにくれないか?
たとえ最初で最後の夜でも
Woo真すぐに Ha-Woo見つめて 見つめて
子供の頃 君が夢見てたもの
叶えることなど出来ないかもしれない
ただ いつも傍にいて 手をかしてあげよう
受け取って欲しい この指輪を
受け取って欲しい この心を
oh…
(浜田省吾作詞作曲「もうひとつの土曜日」より)
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