老舗のお茶?どーでもいい。けど、嫌いじゃない。 「 京都 辻利 」 |
京都宇治 辻利
京都宇治 辻利 焙じ茶
(ジェイティフーズ株式会社:東京都品川区)
№1206・1207
(左:緑茶/右:焙じ茶)
会社帰りのマルエツにて購入、それぞれ108円でした。
緑茶は3月24日から、焙じ茶は3月31日から発売されています。
この「 辻利 」は、竹細工をイメージしたデザインです。
こだわりの演出としては、「 お~いお茶 」や「 伊右衛門 」なども
竹筒をイメージしていますので、お茶と竹の組み合わせはよいですね。
厳選された国産茶葉のみを使用し、辻利一本店さんが創業から
代々継承してきた「 茶葉の目利き・ブレンド 」をうまく調和させた
「 素材そのものの味を活かした品の良いお茶 」になっています。
とてもさっぱりしていて、緑茶がさわやかで飲みやすいです。
くせがないので、和食だけでなく洋食にも合うと思います。
この緑茶は萬延元年( 1860年 ) 初代辻利右衛門さんが創業した、
京都宇治の老舗「 辻利一本店 」さんの協力を得て開発されました。
宇治茶といえば、いまでは日本茶を代表するブランドになっていますね。
私なども、漠然としてですが、とても高級なイメージをもっています。
しかしながら、栄西の時代より続く宇治茶の永い歴史の中では、
存亡の危機に直面したこともあったのだそうです。
辻利さんの歴史はそのような時代に誕生してから今日まで、
その歩みこそが宇治茶復興の歴史でもあるといえるのです。
辻利さんの創業した幕末の1860年( 萬延元年 )といえば、
江戸城桜田門外において大老井伊直弼が暗殺された年です。
当時、徳川幕府の天領として数百年の間手篤い庇護を受けていた
宇治の茶師たちは動乱の中、その庇護を失い、販路を断たれ
茶園は荒廃していくばかりだったようです。
これを見た創業者の辻利右衛門は私財を投じて茶業の改善を図り、
玉露製法を完成させるとともに茶箱( 缶櫃 )を考案して
販路を拡大し、宇治茶の復興に努めたのだそうです。
その功績は多くの人々に認められて、平等院正門横に
銅像が建立される栄誉にまで、至ったのだそうです。
その後、ニ代目豊次郎、三代目利一と受け継がれ事業は拡大し、
昭和初期には小倉市、門司市( 現、北九州市 )の支店をはじめ
日本全国に宇治茶を販売していたそうです。
また中国大陸の大連、釜山、台湾の台北などの各都市にも
支店があり、戦後、京都市( 祇園 )と広島市に支店を設立し
中国大陸や台湾から、日本へ引き揚げてきた各支店の人たちに
小売店の経営をお願いしたのだそうです。
そのため現在、日本の各地に存在する「 辻利 」はこの様な形で
誕生した暖簾分け型と分家型、看板貸与型、共同出資型など
実に多くの形態に分かれているのだそうです。
2本目の焙じ茶は「 辻利一本店 」の茶匠の家で
代々愛飲されてきた「 焙じ茶 」のイメージです。
中味は、一番茶を摘んだ後、茶樹の形を整える際に
刈り取られた「 刈り番茶 」と、上級煎茶の加工中に
選別された若茎「 雁がね( 茎 )」「 強焙じ茶 」を使用し、
熱湯をひと冷ましさせた高温で淹れることにより、
しっかりした味・香りと、すっきりとした後味になっています。
でも辻利一本店さんは、古い伝統だけの会社ではなく、
昭和42年には茶業界で初めてコンピューターを
導入した先進的な会社でもあるから驚きです。
かつて千利久が説いた「 守破離 」
「 基本を守ってこそ革新という名の伝統が生まれる 」の
心得なのでしょうね。
CMでは、篠原涼子さんが、
「 老舗のお茶?どーでもいい。」
しばらく飲んで考えながら…
「 けど、嫌いじゃない。」とつぶやく。
過去にとらわれることなく、自分流を見つける。
そんな心意気に…ご馳走様でした。
どちらも10段階で8です。